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ウェブ連載「日本人の流儀」

松本栄文 × 上林三入

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上林 三入(かんばやし さんにゅう)

創業天正年間、徳川将軍家御用茶師という歴史と伝統を誇る名店「三星園上林三入本店」十六代目。御茶の心を次世代に伝えるため、貴重な資料の無料公開や抹茶の体験教室、各地での講演などを行っている。

松本「まずは御茶師の歴史から伺いたいと思います。抹茶の世界というのは、室町時代から広がりをみせ、千利休さんによって確立されたものですが、当時の御用茶師の姿を絵で拝見しますと、皆揃って腰に小刀を差していますが、小刀にはどんな意味があったのでしょうか?」

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上林「上林家で言えば、私たちは将軍家に仕えていたわけです。すると使命感がやはり違う。小刀というのは、つまりは切腹用なわけで、それだけ真剣に務めていたということですね。」

松本「当時の御客さんというと、私の御先祖さんに当たる近衛家はもちろんですが、他にはどんな方々がいらっしゃったんですか?」

上林「やはり一番の上顧客は関白・豊臣秀吉や徳川将軍家になりますね。その他には摂関家、大名家、公家、御坊さん、位の高い商人。庶民は飲めなかったみたいですよ。」

松本「御客さんは、それぞれの好みというものが有ったと思うのですが、茶師というのは個々を把握されていたんですか?」

上林「御得意様というのは、ある意味では常に無理難題を言うてきはるわけです。でも、それに答えるのが茶師の役目。そこで試行錯誤を重ねることで、最良のものができてくるわけです。それはいつの時代でも、どんな世界でも同じですわぁ。」

松本「でも、御客さんが将軍や大名、公家さんというと、本当に粗相があったら切腹ものですね。まさに生命を賭けた仕事だと思います。そもそも茶師というのは、どういう仕事をなさるのですか?」

上林「ひとことで言えば、茶作り。生産者ですわ。畑に入って、土を耕して、肥やしを入れて、良い御茶を作る。それが基本です。」

松本「茶栽培もやるのですね。上林家といえば『御茶壺道中』の総元締でもありましたよね?」

上林「茶師の仕事としては、茶を詰めるところまで。運ぶのは、江戸まで道程を有する諸藩が担当し、バトンを繋ぐように御茶を運んでいくのです。」

松本 「茶を詰めるとひとことで言っても、飲む方の好みがありますよね。徳川家の中でも、尾張と水戸では好みが違う。その違いは、どのように調べていたのでしょうか?」

上林「御茶を見る目を養う…そういうことでしょうね。芽の見方にしても今年の5月と去年の5月では違うわけです。それをあたかもコンピュータに記憶するように、頭の中にインプットしている。それで“去年は15日に摘んだけど、今年はあと2〜3日置いておこう”と。御茶のために五感を研ぎすまし、そして判断する。こればかりはコンピュータでは判断できない、人間だけが持つ感性です。そして、それが職人技と呼ばれるものになる。だから先方さんの好みに関しても、交流の中から茶師の五感にインプットされているんですわ。そのうえで妥協することなく、良いものを作ることに徹していたのだと思います。」

松本「『御茶壺道中』は、いつ頃まで続いたものなのですか?」

上林「徳川8代将軍吉宗が倹約令を出したことで終了しました。やはり、経費は嵩むんですね。そんな中で質素倹約ということで縮小していくわけですが、どうしても立ち居かなくなった茶師もいました。そのままでは茶師の歴史が閉ざされてしまうという危機感の中、当家はなんとか踏みとどまり、御茶の良さを細く長く伝えたいと思っています。それが今の当家の役目というものなんです。」

松本「抹茶は格式が高い印象がありますから、現代人は抹茶から離れていくばかり…。でも、そんな中で三入さんは今の若い世代に茶臼のひき方から使い方まで教授されたり、講演活動をされたりしています。茶師として現代人に一番伝えたい心とはなんですか?」

上林「若い人は特に、日本人でありながら日本の良い文化を知らない…意識してないですよね。その状況にあって、これは茶師に限らず、日本中の様々な職人文化や伝統技能が衰退している事実があるんです。私としては、そのような状況が歯がゆいし、何よりも日本人として、若い世代にもっと日本のことを思ってほしい。今の若者は、50年前のこともわからないでしょ。例えば昔の人は御茶を運ぶのに宇治(京都)から江戸まで歩いていた。着物を来て、草履を履いて、2週間で届ける。例えば石臼にしても昔の人は、30kgもある石臼を、5時間も6時間もひいていた。でも今の人は、どんなにスポーツで身体を鍛えている人でも、5分も続かないんです。同じ日本人なんですけどね。これはつまり、小さい時から伝統文化の継承ができていないということ。それが当家に来た生徒さんで言えば、御茶を通して色々な教えをしていくうちに、謙虚に聞いてくれはるんで、頭に入っていくんですね。人間は磨けば磨くほど光るんです。オリンピックに出場してメダルを取る人間を育てることができるわけですから、伝統文化も伝えていくことはできる。そういう人を少しでも増やせればと思い、抹茶作り体験などを開いているんです。」

松本「石臼の挽き方にしても、最近の茶人はそれすら知らない方ばかりだと思います。何でもかんでも時計回りに回し、左回しをする方は本当に少なくなりましたよね。」

上林「本当にその通りですよね。碾茶を石臼で挽くと言うことは、茶人として基本的なことなのに、全然知らない。私ら茶師は、自分で磨いていくことで初めて他人に言えるということがあります。なんぼ口先だけでカッコつけたって意味はないこと。だから自分の技を常日頃から磨いているわけです。」

松本「上林さんは携帯電話を持たないのでも有名ですが、やはり感性を磨くうえでは関係があるものなんですか?(笑)」

上林「持っていれば、当てにしますよね。あれば便利なのはわかっていますけど、職人はとにかく自分磨きが先なんですよ。人を当てにしない。茶人にはそういう教えがある。それを極めて行くことで、茶の道も、茶を点てる技術も、そしてもちろん人間として成長していくわけです。だから便利なものを当てにしたりしない。だって、茶道のマニュアルを作っても、意味がないと思いませんか? 大事なのはマニュアル通りに御茶を点てることではなく、生き方とか自分がどういう人間になろうとかを学ぶことですからね。 」

松本「若い人のなかには抹茶をテレビや映画の中でしか見たことのない人が多いと思います。急須で入れた煎茶すら経験のない時代。そういう人たちに、わかりやすく伝えていくのが、三入さんの最大の役目かもしれませんね。」

上林「地道に続けていくしかないんでしょうね。ウチに来たからには人生で一度くらいは茶筅を持ってほしいと思って続けています。おかげさまで14年ほど活動を続けるなかで、6万5千人ほど来て下さいました。皆さん、来てくだされば、簡単に美味しい御茶が飲めることがわかってもらえる。日本人の悪いところは、面倒臭さがりやなところですね。御茶を買いにいくのも、湯を沸かすのも、御茶を入れるのも、すべて面倒臭い。だからペットボトルの御茶で済ませてしまう。それで生きていて面白いのでしょうか? その面倒臭さをやってこそ、人としてレベルアップしていくと思うんです。」

松本「そうですね。何でもかんでも利便性が優先されます。携帯電話が使えなくなった瞬間、日本の経済は止まるでしょう。それでいいの?と思います。」

上林「人と待合わせをするにしても、早めに動いていれば問題はないですよね。それが携帯を持っていることで、気軽に遅れたりするようになってませんか?それって可笑しくないですか?その考え方は?」

松本「三入さんと話していて感じることは、人間臭く人と向き合い、モノと向き合い、そして自然のなかで暮らしていくことが一番なんだろうな、ということ。昔の茶師というのは、御客さんである将軍さんのことを一生懸命考え、満足してもらえるように最大限の情報収集ネットワークを張り巡らせ、それでも万が一のことがあったら切腹するぞという、己の覚悟をもってやっているわけですよね。そして、そんなふうに対峙する御付合いを一度きりではなく、何十年、何百年というスパンでやっていく覚悟がある。そんな茶師の視点から見て、現代人に伝えたい日本の美しさというのは、どんなものなんでしょうか?」

上林「日本には美しいところが、たくさん残っています。何でもない田園風景を見ていても、美しいと思う。それが便利なもの…例えば高速道路ができると、あっという間にその日本の良さが失われてしまう。確かに高速道路は必要なものかもしれないけど、残してほしい日本の良さというのがあるんですよね。なぜ、そう思うかというと、結局のところ私は日本が好きなんです。そやから、美しい日本の残していくために、日本人らしい日本人を増やしていきたい。そのお手伝いが、茶道を通してできればと思っています。」

松本「結局は「日本が好きだから…」。いいですね。未完成な風景や物に美意識を感じ、あえて完成させないところに価値を生む。そして、茶師も、茶人も、御客さんも皆、御互いを尊重しあって礼を尽くす。この思いやりの心こそが、何百年も続く日本型商いを育んだんでしょうね。」

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